月讀 ~硬派~ プロトタイプのコスメには北海道が描かれていました。

ただでさえパンチの効いた月讀に『張り』を強く持たせた硬派。
この硬派を創るまでにはいろいろなドラマがありました。
そのドラマと、そこに至るまでの背景を、徒然なるままに記していきたいと思っています。

冗談みたいなボードに業界は侵食されて(笑)、こんな硬派な板創ったらどうなのかな?? と思っていた頃、同じようなことを考えていた道産子の古いボード先輩が、旭岳から連絡をくれたところから月讀硬派の開発は始まったのです。
数を売るために創ってないのに、やっぱり生産のコストに悩む俺の背中を押してくれたのです。
売れるか売れないかよりも、乗りたいボードを創ってみてこそだよ。って男のロマンで産まれた硬派ですが、今では強い人気のモデルとなりました。

さて、時は35年以上前からの北海道。
日本の、北海道の、スノーボードのスノーサーフィンの源流を刻んできた男たちの一人、『通称 北海のヒグマ』菊池 司 氏のストーリーを織り交ぜて、月讀~硬派を~ 文字に繋げていきたいと思っています。

Episode① あの頃を思い出すと・・・
ここでいうあの頃は30年以上前のスノーボードシーン。
俺が最初にボードしてから30年少しの時が経ちました。そんなにメジャーじゃない遊びでしたが、サーファーやスケーターの横乗り野郎たちにとっては最高の冬の遊びでした。
湘南でサーフィン三昧していた俺は、大学をドロップアウトして食べるものにも困り信州に帰ってきました。
それまでは真冬でも海に近い環境に暮らしていた俺ですが、生活の起点が実家となって冬は雪が身近な暮らしとなったころ、白樺湖周辺には多くのスノーボーダーが集まっていたのです。
学生時代に2回ほど体験したスノーボードはその頃はそんなに興味もなかったのですが、ごくごく自然な流れで真面目にやってみる気になり・・・オガサカで有名なテクニカルの重鎮「相澤盛夫 氏」のお古のバートンエリートだったかパーフォーマーだったかを高く売りつけられ(冗談)、それが俺が初めて買ったスノーボードとなりました。
先生はまだ女子高生だった牛山奈穂美。奈穂美はボードがめちゃくちゃ上手かったことを覚えています。

Episode② ブランド
その頃には主にはアメリカが主体の海外ブランドとMOSSくらいしかなくて、大会で見る顔もいつもの顔でした。
白樺湖にはREO SURF (後のバートンの地区代理店)があって、周りは全員がバートン。
バートンが一番良いように洗脳されて信じて滑っていましたが、雰囲気やライダーのスタイルがカッコイイのは断トツSIMSでした。
ぶっ飛んでいたのはアバランチ。 優しそうなバーフット。
俺も成績が出るようになったり、マーケットも少しだけ大きくなるにつれて TEAM BURTON JAPANとして活動するようになり、ボードの開発に合わせて滑りのパフォーマンスが上がるのとシンクロして、チョットその気になったりしてスノーボードにのめり込んでいったのですが、全国大会で各地のライダーを見る機会が増えて思ったのは、やっぱりSIMSの連中はカッコよかったのです。
BURTONは勝ちにこだわり過ぎ、MOSSは形状から緩斜面のカービングコースか深雪しか滑られず、他のブランドはそこそこの中、SIMSのライダーは少し違ったのです。

続きはまた次回。。。