各地で雪の便りですね。
と思ったら、連休明けたら夏のような気温だとか・・・

ボードの残りも僅かになってきました。
お問い合わせ、カタログ請求、大歓迎です。
引き続きよろしくお願いいたします。

さて好評の硬派物語。続きです・・・

Episode⑧ ウインターステック
クマさん個人の目的はアラスカで行われていた、King of hillの出場に切り替わっていった。

世界で一番危険なスノーボーダーを決める大会である。
その時代に行きたいと思う気持ちも凄いが、クマさんの冒険心は燃える。

その大会の冠スポンサーはウインターステックという。
なんじゃそりゃ??
そういえば・・・数年前、山で出会ったオーストラリア出身だと言ったアイツ。

まだ外国人のボーダーが雪の北海道を旅しているのは珍しい時代。
それもノービィンディングで、彼は雪板に乗り操っていた。

その雪板の名前こそが『ウインターステック』だったことを菊地司は覚えていた。

バートンもシムスもこいつのコピーだ。
とオージーのサーファーは誇らしげに言ったのが耳にこびりついて残っていた。
正にそれはスノーサーフィンだった。

本場アメリカでも紆余曲折しながらウインタースティックは熟成され、今でも素晴らしいプロダクションモデルを持ちこの業界のリスペクトを集めているブランドだ。

しかし菊地司が求めた20年以上前のその瞬間は、残念なことにウインターステックは何らかの事情で簡単には手に入らなかった。

閉鎖状態だったウインタースティックへの憧れは、好きな女に恋い焦がれる以上に胸を熱くして、北海でクマさんは悶々していたに違いない。

魅力的なロケットノーズ、硬めのフレックス、長い全長。
新雪での『浮力』は爆発的。
その頃のモデルは全く圧雪での使い勝手なんかお構いなしで、曲がれるのかこれで・・・!!!
みたいなボードだったけれど、『いやいや、いいんだよ。 深い雪で浮くんだから「そんなの関係ねぇ」』
それがすべてさ。
なんてライダーしか乗っていなかったのがあの頃のウインタースティック。

スノーボードのバブルを予感させる80年代の終わり。
クマさんは展示会に行った時にウインタースティックと情熱の再会をする。
ウインターステックはボードに詳しい担当がヘッドハントされて、日本でも復活輸入されることになった。 しかしなんと言ってもボリュームゾーンのボードはマニアックシェープ。価格も安いものではない。
多くのユーザーが群がるようなブランドでもなかったけれど、当然 味も濃い目のスノーサーファーたちの目だけは輝かせ、釘づけになっていた(笑)
俺も含めその時代のコアなユーザーには多くの影響を与える強烈なブランドだった。

そしてその後、北海のヒグマ「菊地司は、Mr,ウインタースティック」と呼ばれるようになり、文字通り先駆者として北海道の裏山に籠る。

Episode⑨ ~The day~

旭岳 盤の沢。無風、気温-20℃晴天

前日まで嵐、60オーバーの羽雪。

50°を超える斜面の頂上にいた。

斜面に着いた雪は、滑ると同時に落ちるのは予想できた。

亀裂させないように縦に落とす。

テールが底付から離れ浮力が付いてからはサーフィンだ。

ラウンドハウス気味のカットバック

ショルダーに当て込んでオフザ・トップ

刻んで流れて来た雪と競争となるが、ボトムから離れれば慌てることは無い。

風だけが顔の横を流れる。

振り返ると、もうそこには斜面はない。
まさに一人1斜面の至福の時間。
そこを滑り切るには起伏を覚えるまで何度も通った経験と、自分の意のままに操れる板が必要だった。

知床横断道路や羅臼のクレパスも飛び越した。

アラスカの氷の斜面も切り刻んだ。

良い時間をともにすごしたアイテムはウインターステックだった。

昔を思い出した目で、菊地司はあの頃を語った。

続く・・・🐂